◉sep.8___sep.14
昨夜の時空間デザイン講義では、先週のミスリードを軌道修正した。向か
うべき目的を理解できたようで、洋服を主役に据えて、自身のからだを素
材として活用するパフォーミングに向かいつつある。
ZOOMで講習プレゼンのお手伝い。ふだん自分が気がつかないであろうこ
とをアドバイス。他人事はよく見える。自分のことだと途端にわからない。
sep.14
古書店で孫の室生洲々子著による《犀星映画日記》購入。ローマの休日を
「あとになにものこらない映画、近代オトギバナシである」とバッサリ。
かなりの映画好きで仕事のように、頻繁に劇場に通っている。seo.11
多田道太郎の《風俗学》は名著だ。玄関脇に突き出た応接間を取り上げて
日本人の西洋意識や公私の境界を論じたり、漱石の《門》における卓袱台
の登場で、食習慣の変化を示し、ファド→ファッション→スタイルと変化
してゆく流行現象の認知心理についても見事な言及をしている。sep.9
ゴダール映画のベルモントに興味はないが、フィルムノワールのベルモント
は見返してみたい。
TV録画してある映画が27本あるが、まず見ないだろう。ではなぜ録るのか。
なにかあったときの保険のようなものなのか。でもなにかとは一体なに?
《おかえりモネ》で不可解なのは、自室の鍵を渡してしまう心情である。そ
れをすんなり受け取る心情もわからない。ココから先は、境界線を超えた関
係でいきましょうという意思表示なのだろうか。私がヒロインなら丁重にお
断りする。
《ドライヴ・マイ・カー》では、台本の読み合わせのシーンがあり、起伏な
く感情を込めずに読む稽古が数日にわたる。立つ、座る、歩く、並んで時間
を共有することに重きを置く私の手法に近しいものを感じた。作品の骨格を
立ち上げてゆく初期段階の重要なプロセスに立ち会った印象である。
昭和10年代に流行したレコードガールについてリサーチ中だが、殆ど記述は
見つからない。海野弘、鹿島茂、多田道太郎、川本三郎あたりが扱っていそ
うなのだが。やはり学術対象から外れてしまう風俗についての記録は残って
いないものだ。sep.8