ずいぶん前のことだが、谷川俊太郎さんが、生活力がないという理由で離婚に至
ったことを漏れ聞いた。
とてもショックだった。谷川さんといえば、現代詩で生計を立てることができる
ニッポンで唯一の詩人である。その稀人<まれびと>が否定されてしまったので
ある。クリエイションに携わる私たちの代表格。いわば頂点に立つ人がNGを出
されてしまったのである。一体私たちはどうすれば良いのかという暗澹たる虚無
感に包まれた.。
では、生活力がないとは、具体的にどういうことか?
切れた電球を替えられない。電気の配線ができない。銀行や郵便局の振込みがす
んなりとこなせない。などの類いの暮らしの技術のことである。
自慢ではないが、私も電球は替えられない。
現実には電球ぐらいは替えられるのだが、右脳が活発に働きだし創作脳にチャン
ネルが切り替わっているときに、替えたいきもちはあっても替えられないのであ
る。電球を替えれば、たちどころにクリエーションの芽は萎えてしまう。こんな
ことをいうと、殆どの女性からは「怠けたいだけでしょ」と呆れて返されるだろ
う。だが、ちがうのである。創作脳にスイッチが入っていなければ、すぐさま電
球は替えられるのである。
作家の小川洋子さんがエッセイに記していたのだが、銀行に振込みに行く日は、
それだけで精神的にイッパイになってしまい、他のことは手がつけられないと書
いていた。そこまで酷くはないが、心境はよ〜くわかる。女性でもそんなひとは、
いるんだなぁとほっとしたきもちになる。
要はクリエイションは、日常から遊離した行為であるということ。
いかに非日常からトリップできるかが、創作の羽を羽ばたかせることにつながっ
ているのだ。