この季節、まちなかで学校から解き放たれた春休みの学生たちをみかける。お
じいさん、おばあさんと一緒の小学生たちもいる。縁遠くなってしまったが、
終業式から始業式までの季節には、特有の空気がある。まとまった休日の解放
感と新学期を迎えるいくばくかの緊張感。相反する空気がないまぜになったふ
しぎな季節。今年だと3/25〜4/6の13日間に相当するのだろうか。いずれに
しても、大人になれば味わうことのない学生限定の希少な時間である。
優等生たちは、春休み、冬休み、夏休みと三回ある長期の休暇を生かして、自
ら設定した目標を達成しては、成長してゆくのだろう。だが、少年期から思春
期にかけて、ぼ〜っと過ごしていたぼんくら少年は、そんな充実した時間とは
無縁であった。3月中の休みの前半は、長閑な春の日差しのなかで、担任の先
生が、優しそうだといいな〜とか、できれば美人の女の先生だとなおいいな〜
とか暢気な空想に耽っては無為に過ごす。4月に入ってからは、新学期からの
あたらしいクラスに慣れるだろうかとノミの心臓を悩ませては、無為に過ごす。
結局、はじめからおわりまで無益な春休みを過ごすのである。
人見知りがつよいので、友だちをつくるのに時間がかかったとおもうが、どう
いうきっかけで友人はできたのだろうか。その過程は、いまとなってはおもい
だせない。50人ほどのクラスメートのなかから気が合いそうな周波数をだし
ている子をうすらぼんやりとしたあたまで感知していたのだろう。とりわけ相
性がいいわけでもないが、友だちがいないのも淋しいからこのあたりで手を打
っておこう。などと打算的なつきあいもあったような気がする。その後、大人
になってからも交友が続く場合とクラスがかわったらぷっつりと途絶えてしま
うひととのちがいはなんなのだろうか。友だちと友だちとはならなかったひと
との境界は、はなはだ曖昧なようだ・・。
コメントをお書きください