光と闇の美学

先月、

名古屋市美術館の闇の会場でおどらせていただいた。

厳密には、会場にぼ〜とした満月の存在があり、95%の闇である。95

%でも鼻先まで近づかないとひとの存在はわからない。都会暮らしの身に

は、こわいぐらいの暗さである。そして、その闇の特質を活かしながらお

どるのが、与えられたテーマということになる。いままで、ダンスによる

風景論を展開してきたので、視覚を奪われてのダンスは、想像以上に手強

い。つまり、視覚に頼った表現をしているとも云える。

 

それで、

なんとなく参考に掲げたのは、日本美のバイブルとも云うべき谷崎著《陰

影礼讃》。そして、タルホの鉱物的天文少年の視座である。前者は、日本

の住居における光と影の美学をここまで端的に言い表わした文学は類例が

ない。そして、本番数日まえにみた林海象のタルホ原作=《彌勒》の印象

が、ほのかに脳内の片隅にのこる。結局は、上々の結果ではあったのだが、

身体芸術であつかうべき要素は、多様であることを再認識した次第である。

懐中電灯による演者/観客=<見る/見られる>の関係性の逆転。蓄光グ

ローヴによるハンドダンス。音楽を使用しない音響効果。。あたりが今回

工夫した仕掛けである。くわえて、生命体がもう一体ほしくて、今回の企

画作家である今村哲さんに特別出演をお願いした。

 

通常は、魅力的な空間に刺激をうけての作例が多い。だが、今回の会場は、

灯りがついてしまえば単なる楽屋裏の風情。悪条件を飲み込みながらのク

リエーションは、つかわれていない脳に多大な刺激を与えてくれた・・。