仕事は、概ね年長者から年少者に流れる。ということは、年を取るほどに依頼が
減ると云うことである。いつくるともわからぬ依頼を待っていてもしようがない
ので、逆に人に仕事をだすことにした。といっても大した仕事はだせないが、考
え方を一変させると、ポツポツと仕事の依頼があるからふしぎなものである。
依頼を待つと云うことは、光を当ててもらうのを待つと云うことになる。光を当
ててもらいたがっている人は多い。だが、人に光を当てる人は少ない。概ね他人
より自分が可愛いのである。自分が主役にはならないが、人が輝いてもらうこと
で、自分もその反射光を浴びたりはする。自分が、必ず主役でなくてはならぬと
考えると窮屈になる。人が喜ぶことで自分も至福感を得る。こういった考えに及
ぶようになったのは、50才を過ぎてからだろうか。もうすこし、早く達観して
おれば、楽になったのではと思うが、そこは哀しいかな、若輩の浅はかなところ
なのである。
また若いうちは、自分に来た仕事を人に流したりしていた。欲がないと云うと聞
こえは良いが、いまからおもうに、依頼主に対して失礼な行為だとおもう。若さ
故に、人の気持ちを汲み取れなかったのである。
アートの世界では、自分にしか興味がない人が多い。個人で成り立つからなのだ
ろうが、人に興味のない人の作品に、こちらも興味が持てないのはあたりまえで
ある。自分のまわりにいる人との関係を結びながら、まわりも自分もともに輝い
ていければ、良いのにと思う次第である。