演出とは、<見極める力>である。
まず、大事な仕事にキャスティングがある。出演者に対して気をつけているの
は、本人が気がついていない魅力に光をあてること。概して、だれも自分のこ
とは見えづらい。この角度から光をあてると輝くという瞬間を見逃さない。そ
のために、稽古やふだんのなにげない仕草、視線などをそれとなく見ておく。
いや、感じると云うほうが近いかもしれない。つまり、夫々のまだ見ぬ鉱脈を
掘り起こす作業をしていることになる。大げさなようだが、演出の過程で、そ
の人となりを形成している人格の一端に触れることになる。ことばにならない
表情、ことばになる以前に噤んでしまった感情や行為などを見守っている感触
がある。無論、あまり本人に示すことはないのだが、掬いあげた結晶のような
個の煌めきを作品に使わせていただくことになる。
そして、とりわけ出演者のことは、本番まで見守り続けている。
そして、上演が終わったあとも見守る視点は、止むことはない。頭の端に存在
があり、時折おもいだす。チャンネルを切り替えるように簡単にわりきれない
のである。親の視点というほど濃厚なものではないが、親戚の叔父さんくらい
の情はあるかもしれない。本番が終わってしまうと、折角縁あって関わっても
らった出演者に対して、まるで感心なさそうな作家に出会うが、まことにフシ
ギで仕様がない。
見当ちがいをして人選に失敗することもある。
原因としては、人の判断に影響された場合などがある。まずは、自分の眼で見
ることにひたすら尽きるようだ。ひとは、往々にして体内に<蔵>を抱えてい
る。本人は、<蔵>のなかに傷つきやすい大事なものがあるような気がしてい
る。だが、開けてみれば、なにもないのではないだろうか。とかく自意識は厄
介なものである。<蔵>の鍵さえ開けてもらえば、欲しているものの一つぐら
いは、差しだしてあげることができるのだが・・。
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