先生と私

 

おどる漱石_【こころ】の第一回稽古は、

先生と私のエスキースからはじまった。文中の<先生>は、ずいぶん老成した

印象があるものの、私と鎌倉の海で出会ったのが、推測33才。自殺を遂げた

のが37才。今回、人選した河合 悠さんとほぼ同年令である。【おどるゴッ

ホ】でテオ役を演じたので、見覚えのある方もみえるとおもう。人選に難航し

<私>役は、わかき作曲家=野老真吾さんに決まった。普段着のこのふたり

が、本番までにどう変貌を遂げてゆくのかたのしみである。

 

まずふたりに課したのは、《なにものでもない人物像》である。なにものでも

ない人物になれれば、なにものかになれる可能性がうまれる。役柄を浸透させ

るのは演出の力なので、とりあえずは、無色透明の水のごとき存在であって欲

しい。サイレンスダンサー1年生の野老<トコロ>さんに関しては、佇まいや

動きのなかで、カラダの特質をしっかりみさせていただく。稽古は、どういう

振付をすれば、其々のパーソナリティが生きてくるのか見極めてゆく作業でも

ある。歩行を避けて静止画を多くしたり、絡みのシーンの多少を加減したり、

となりあったときのカラダ同士の印象も観察してゆく。身長のバランスも考慮

に入れながら《座》のシーンを配置していったりする。

 

演劇とちがい、サイレンスダンスの稽古日は極端にすくない。次の稽古日まで

に課題をだしてゆく。五ヶ月後にどこまで目標にちかづけるか、長期的なビジ

ョンと毎回の目標とを平行させながら見守ってゆく。

 

いうなれば演出とは、ひたすら出演者を見守る作業なのである・・。