舞台作品は、右脳と左脳のバランスでつくられる。
発想は、閃きに負う部分がおおきい。だが、それは抽斗に所蔵されている必
要な過去データを瞬時に選んで、1本釣りでひっぱりあげているような感覚
だろうか。自分の体内にないものは釣りあげようがないので、やはり若い頃
よりピックアップ力=閃き力は、抽斗内蔵量が豊富な年の功が勝る。
だが、閃きだけでは1本の作品はつくれない。統合力、整合性といった左脳
の出番となる。右脳、左脳、どちらに偏っても力のある作品になりえない。
美術やダンス作品に多いのだが、女子の作品に動物的で統率力に欠けた小汚
い作品がおおいのは、なぜなのだろう。ダンスとちがって、コトバを扱う必
要上、論理的な調整力が必要な演劇では、女性の演出家は極端にすくない。
だが、男性は左脳偏重がおおく面白みのない観念的な作品傾向になりやす
い。対して、女性は右脳型なのか、というとそうでもなく、右脳左脳ともに
つかっていない観がある。気分や皮膚感覚でつくっているといえばいいのだ
ろうか。
サイレンスダンスの場合は、
右脳により引きだされたイマジネーションに左脳が具象性をあたえる。そし
て、イメージとイメージをつなぎあわせたり増殖、融合させたりして統合化
してゆく作業を左脳が受け持つ。図面とスケッチ、写真やワードマップによ
りビジュアライズして脳内の整理作業に務める。と当時にそれは、スタッフ、
出演者へのイメージの共有化の手段になる。いろいろな手段をつかい、フォ
ーカスを絞りながら作品の解像度をたかめてゆくプロセスとなるのである。
いずれにしても、脳の分業制クリエーションにより作品の質は決まる・・。
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